年間行事|「円満」の御利益|茨城県日立市の神峰神社

saireiyurai

大祭禮 7年毎 5月3日〜5日

7年に一度、5月3日~5日に行われる神峰神社において最大のお祭りです。

起源

元禄8年(1695年)水戸藩2代藩主徳川光圀の命により、神峰神社は宮田村・助川村・会瀬村の総鎮守となりました。
大祭禮は村々を神様に守っていただけるように、各村の神社が力を合わせて神幸祭(渡御)の奉仕をしたことに始まります。それまでは、不景気になると世直し祭として大祭禮が行われていましたが、平成3年の大祭禮の後に7年毎、5月3〜5日の3日間にわたり行うことに決められました。

特徴

神峰神社のご神幸(渡御)行列には、全国的によく見られる御神輿は用いられません。神峰山山頂の本殿(奥宮)から分霊を宿った神鉾5体を神峰神社拝殿(里宮)へお迎えし、神鉾が氏子区域を渡御します。
ご神幸(渡御)行列は、猿田彦を先頭に、宮田・助川・会瀬の3組の”ささら”、神鉾、神職、役員などが行列を作って巡行します。
また、山車と、その上で披露されるからくり人形芝居の「日立風流物」が4台一斉に奉納公開されます。

「日立風流物」は、昭和20年の戦災により大半を焼失しました。昭和33年に北町の山車が復元され、昭和34年に「国指定重要有形民俗文化財」、人形操作などが「国指定重要無形民俗文化財」になりました。
また、平成21年には「ユネスコ無形文化遺産」にも記載され、さらに平成28年には「山・鉾・屋台行事」としても記載されました。

主な流れ

5月3日: 神峰神社・助川鹿嶋神社・会瀬鹿島神社合同のお鉾奉持者の一行が、神峰山山頂の奥宮に安置してある5体の神鉾(稲荷鉾、荒屋鉾、神峰鉾、助川鉾、会瀬鉾)を神峰山のふもと近くの「大雄院お休所」までお運びします。神事のあと、5体のお鉾を5基の輿に載せた御神幸(渡御)行列が、宮田佐々羅・助川佐々羅・会瀬佐佐羅の露払いのもと神峰神社拝殿(里宮)まで巡行します。
5月4日: 神峰神社の渡御行列が宮田地区を巡行します。また、助川鹿嶋神社の渡御行列が助川地区を巡行します。
5月5日: 会瀬鹿島神社の渡御行列が会瀬地区を巡行します。三神社合同で、5体の神鉾を奥宮へお返しします。

ささら
ささら

警固、しゃぐま(化粧をした男の子)3~4人、雄2雌1の3頭の獅子、横笛多数によって構成される、日立の”ささら”は県無形民俗文化財に指定されています。
渡御では露払いを務めるとともに、五穀豊穣、村内平和を祈願して途中主要な箇所で半庭舞(庭は曲の長さ)や、すりこみ(あいさつの舞い)を奉納します。

役馬(エキバ)
役馬(エキバ)

役馬は、5本の神鉾を奉持した稚児5人が馬に乗って巡行します。
令和8年5月のご神幸(渡御)行列では、各鉾を載せた輿が巡行します。

風流物

風流物

毎年行われる日立の”さくらまつり”では山車が1台のみ公開されますが、大祭禮では4台すべてが公開され、注目を集めています。

高さ15mの巨大な山車で、5層の舞台の上を15体前後のからくり人形が一斉に動き、さまざまな時代劇を繰り広げます。
表館では「太閤記」や「忠臣蔵」など、裏山では「花咲か爺さん」「因幡の白兎」などの物語が演じられ、大人から子供までお楽しみいただける内容となっています。

渡御の際にお出迎えとして使われていた”木偶を乗せた台車”が起源であり、平成21年9月には、ユネスコ無形遺産委員会により無形文化遺産として登録されました。

TOP